clubberia features WIRE13 Special Columns

TAKKYU ISHINO (TOKYO) ああなんとか間に合った~とstaffの彼女に 電話して彼らの居るところに走って行く 2013.07.16UP

昨年、clubberiaとして意外にも初めて行った卓球さんへのインタビュー。毎度のことですが、すごく緊張するんです。ましてや卓球さんともなれば、読者の皆さんにも心中を察してもらえるかと思います。ソニーの広いミーティングルームに卓球さん、マネージャー、キューンの担当者など4人くらいいる中で行うのですが、気分はまるで四面楚歌、来るとこまで来てしまったなと思うわけです。



でもインタビューを始めてみると、すごい丁寧に話してくれて用意した原稿を見なくても自然と会話が広がっていきます。大御所アーティストのインタビューは、同じ日にさまざまな媒体が1時間交代ずつで録っています。アーティストも同じ質問を何回も答えることになるし、初対面の人との会話は、やはりストレスを感じる部分はあると思います。ただ、本当に丁寧に答えてくれたし、話もおもしろい。さらには、私が「WIREにとって卓球さんの役割は?」と聞こうとしたところ、誤って「卓球にとってWIREの役割は?」と呼び捨てにしてしまうと(この時、頭真っ白)、「おっ、急に近づいて来たね」と一瞬にして空気を和やかにしてしまうユーモアに助けれられました。

昨年、年間を通して1番見られた卓球さんのインタビュー。今週のコラムは、このインタビューを振り返ってご紹介しようと思います。


- 一般的に卓球さんはWIREの主宰という認識がありますが、WIREにおける卓球さんの役割や仕事は何なのでしょうか?

一応主宰とは言っているんですが、言いだしっぺみたいなもんで、そこまでかっちりしたものではないんですよ。具体的には、出演アーティストの選定、プロモーション、ビジュアルだったりの判断とかですね、あとWIREコンピの制作だったり。さすがに10何年もやってると、各スタッフとも信頼しているので、お任せでやっていますよ。みんなが思っているほどやることは無いんですよ(笑)。

- アーティストの選定は、どういった線引きで決めてますか?

今これが流行っているからそのスタイルの代表格というのは、あまりチョイスしないようにしてますね。基本的には、大きなくくりでのテクノというのがありますね。

- WIREをスタートさせた経緯や目的を教えてください。

90年代半ばから後半にかけてヨーロッパでプレイする機会が増えたんですね。当時、日本でもテクノは盛り上がってたんですけど、MAYDAYに出演した時に日本でテクノは認知されて人気もあるのに、こういった大きなレイヴって無いなと思ったんですね。野外のフェスって少しあったんですけど、それがすごいアンバランスのような気がしたんですね。日本は、どちらかというと、レコード屋をはじめとしたソフト中心のマーケットという感じがしたので。そこに、もっと大きな場所で実体験する場所が無いのはおかしいなと思って始めたのがきっかけですね。

「WIRE12」での電気グルーヴのパフォーマンス映像。



- フジロック(1997年)、サマソニ(2000年)、ロッキングオン(2000年)、ライジングサン(1999年)、メタモ(2000年)、ワイアー(1999年)と、日本を代表するフェスがスタートしたのが2000年付近に集中していますが、何が要因だと思いますか?

そういえばそうですね、あまり考えたことが無かった。むしろそれ以前にあってよかったものが、たまたまそこに重なった感じもあるんじゃないですかね。フジロックみたいなものってもっと前からあってもおかしくないというか。

- WIREだけ屋内なのですが、何か理由があるんですか?

やっぱりMAYDAYで受けた衝撃というものがあって、屋内でこれだけ作りこめるという部分ですね。それまで横浜アリーナは、今までコンサートとしての使われ方しかなかったんですよ。MAYDAYに行って、ステージだけでなく全体を使うというのは見たことが無かったので。あとは、天候に左右されないという部分ですね。それはけっこう大きいかも。

- 日本の大箱のメインフロアって500人から1000人くらいじゃないですか、WIREの場合1万人以上にむけてプレイする時は、やっぱりプレイは違いますか?

そうですね、箱の大きさでも違いますし、WIREの場合は年に1回ということもありお客さんがより能動的なのでギア高めにするというというのはありますね。

- WIREの場合、出演者も多いので1人あたりのプレイ時間がテクノでも1時間とか短かったりするんですけど、そういうこともあって短くても充分パフォーマンスができるということなのでしょうか?

そうですね。あと会場が広いと人の出入りがあったりするので、あんまりどっぷりはまる系って厳しいんですよね。

- 14年間、WIREをやられてきて変わった部分と変わらない部分はありますか?

変わった部分は、10何年もやっているとお客さんが変わってきますよね。今20代半ばの人たちってWIREが始まった頃は、まだ10代でしょ、半ズボン、初潮(笑)。そういう子たちも来るようになっているから、彼らのクラブ、パーティーでの楽しみ方と、それまで遊んでいた人の楽しみ方も全然違うので、そういうところで変わってきたところはありますね。一概には言えないですけど、いい部分とすれば、よりパーティーを楽しむっていうところが強まってきてますね。逆に、あんまり音楽が中心では無くなってきている部分もあると思います。けっしてそういう人たちが悪くはないのだけど、あまりに増えすぎちゃうと厳しくなるのかなって思いますけどね。

- 変わらない部分は?

変わらない部分って逆に目立たないので、説明するのが難しいし、自分でも気づいていない部分が変わってないと思うんですよ。だからそこはちょっとなんとも言えないかな。無くなってから気付くというか。



- お客さんにとってWIREがどういったものであってほしいですか?

他にもフェスやイベントはたくさんあるので、別にWIREだけに来てくれって訳じゃないんですが、年に1回なのでスペシャルなものとして楽しんでくれたらいいなと思います。楽しみ方は、各自個人の自由なので他人に迷惑がかからない範囲で楽しんで頂ければですね。

2012年7月4日掲載インタビューより抜粋
音楽遍歴や海外での経験、コンピレーションに関してなどインタビュー全文は下記よりご覧下さい。

http://www.clubberia.com/ja/interviews/514/


WIREが初めて行われた時、私は中3でした。テクノを初めて聞いたのがたまたま重なりました。私の場合は、The Prodigyのアルバム『The Fat of the Land』。雑誌Smartのお洒落人がオススメするCD10選みたいな企画で紹介されてて、そのジャケットが気に入り買っいましたが、聴いてみて衝撃を受けました。「う、う、う、歌がない!」これが私が初めて受けたテクノの衝撃でした。

みなさんが、初めて受けたテクノの衝撃は何ですか?想像でしかありませんが、そのポイントは、みんなあまり変わらないと思います。そして、そのポイントを思い出させてくれるのがWIREなのかなと思いました。卓球さんが「今これが流行っているからそのスタイルの代表格というのは、あまりチョイスしないようにしてますね。基本的には、大きなくくりでのテクノというのがありますね。」話してくれたように、変わらない美学も、あの空間には存在しています。だから毎年足を運ぶお客さんが大勢いるのだと思います。

私にとってテクノのファーストインパクトがThe Prodigyであれば、セカンドインパクトは、初めて行った「WIRE07」。15周年となる今年、サードインパクトを起こしてくれるのか?原稿を書きながらワクワクさせてもらいました。

Text:yanma (clubberia)



ARCHIVE

  • Special Columns.11 毎年欲張るタイムテーブル
  • Special Columns.01 TAKKYU ISHINO (TOKYO)
  • Special Columns.01 TAKKYU ISHINO (TOKYO)
  • Special Columns.01 TAKKYU ISHINO (TOKYO)
  • Special Columns.01 TAKKYU ISHINO (TOKYO)
  • Special Columns.01 TAKKYU ISHINO (TOKYO)
  • Special Columns.01 TAKKYU ISHINO (TOKYO)
  • Special Columns.02 TAKKYU ISHINO (TOKYO)
  • Special Columns.01 A.MOCHI (TOKYO)
  • Special Columns.01 A.MOCHI (TOKYO)
  • Special Columns.01 A.MOCHI (TOKYO)

PROFILE

TAKKYU ISHINO (TOKYO)

TAKKYU ISHINO (TOKYO)

1983年7月16日生まれ。島根県出身。現29歳。服飾の専門学校を卒業後、アパレル会社に入社するが音楽の仕事に携わりたくなり退社。そしてclubberiaに就職。現在は編集長を務める。