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TAKKYU ISHINO (TOKYO) ああなんとか間に合った~とstaffの彼女に 電話して彼らの居るところに走って行く 2013.07.16UP

スペシャルゲストの発表でGIORGIO MORODERの出演発表がされた時は、誰だ?とクエスチョンマークが付いてしまいましたが、プロフィールに目を通すと、ミラーボールがディスコを象徴するように、GIORGIO MORODER(ジョルジオ・モロダー)ほどディスコを象徴する名曲を手がけたプロデューサーはいないことが一目でわかりました。その最たるものがDONNA SUMMER(ドナ・サマー)と作り出した曲の数々だと思います。



特に、官能的な女性の喘ぎ声が特徴的な約17分に及ぶ大作「Love To Love You Baby」(75年)、デケデケしたベースラインが走りシンセサイザーを駆使して制作された音楽は、新しい音楽の時代を告げた「I Feel Love」(77年)、CMにも使用されお茶の間にも鳴り響いた「Hot Stuff」(79年)、トゥットゥッ、ピッピの掛け声が楽しくさせてくれる「Bad Girl Medley」(79年)などが有名だと思います。特に「I Feel Love」は、「それまで存在しなかった新しいシンセサイザーダンスポップを目指したのが、I Feel Loveだった」と自身で語るよう、その後の音楽に大きく影響を与えた作品でしょう。

■参照記事
http://www.yamaha.co.jp/ongakukiji/news.php?no=14393


ささやきヴォーカルとあえぎ声を連発するエロティックソング「Love To Love You Baby」 (75年)



その後のディスコ、クラブシーンのサウンドを変えてしまうほど画期的な名曲「I Feel Love」 (77年)



CMにも使用されお茶の間にも流れたDONNA SUMMERの迫力あるボーカルが生きる「Hot Stuff」 (79年)



6:48~ 今でも明け方のアンセムとして人気のある「Bad Girl Medley」(79年)



また彼は、ダンスフロアからスクリーンの世界へも挑戦しています。アラン・パーカー監督による社会派サスペンス「ミッドナイト・エクスプレス」(78年)で初めてサウンドトラックを手がけアカデミー作曲賞を受賞します。さらに、ダンサーになる夢を追う女性の姿を描いた青春映画「フラッシュダンス」(83年)、ミヒャエル・エンデの世界的ベストセラーを映像化した「ネバーエンディングストーリー」(85年)、トム・クルーズの出世作でもある「トップガン」(86年)など、そうそうたる映画音楽を手がけて映画界でも引っ張りだこになります。


80年代は映画から多くの名曲が生まれた。フラッシュダンス「What a Feeling」(83年)



バックに走っているリズムからGIORGIO MORODER節が聞き取れます。ネバーエンディングストーリー「Limahl」(85年)



映画トップガンの主題歌もGIORGIO MORODERの作曲。「Take My Breath Away」(86年)



そして今年は、2013年上半期の話題をかっさらったDAFT PUNKのニューアルバム『Random Access Memories』でDAFT PUNKとコラボレートもしてみたり、5月には初来日公演をビルボードライブ東京で行ったり、さらにはニューヨークで行われたRed Bull Music AcademyのイベントでDJもしている。キャリアをスタートさせて半世紀を経て、今まで裏方的存在だった彼がようやくフロントに出てきたのです。

■RED BULL MUSIC ACADEMYに公開されているDJセット
http://www.rbmaradio.com/shows/giorgio-moroder-live-at-deep-space



ディスコの父ということは、いわばハウス、テクノ、そしてポップスの父でもあります。卓球さんの楽曲やDJで使うトラックってGIORGIO MORODERの曲に似ていると思いますし、もしかしたら「Love To Love You Baby」をラジオで聴いたハウス界のレジェンドLIL LOUISが、あの喘ぎ声が頭のどこかに残ってて「French Kiss」を作ったのかもしれません。GIORGIO MORODERの楽曲を聞いていた影響があってDAFT PUNKが00年代を象徴する曲「One More Time」を生み出したのかもしれません。推測は膨らみますが、彼がシンセサイザーで導いた音楽が後世に与えた影響は確実に大きいです。それに私たちは、彼の名前を知らなくても、知らず知らずのうちに曲を刷り込まれていましたし、それを今振り返るとどれも名曲ばかりです。

いいDJがいい曲を作れるわけではないように、いいプロデューサーにいいパフォーマンスができるかどうかわかりません。ただ、これほど偉大な功績を残した先駆者のパフォーマンスを見逃すことは、もったいないことは確かです。

Text:yanma (clubberia)


追記:
DJ SHADOWの代表作でパイプオルガンが印象的な「The Organ Donor」は、GIORGIO MORODERの「Tears」が元ネタになっています。私の世代(30前後)には、特にグググと来る人が多いかもしれません。






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PROFILE

TAKKYU ISHINO (TOKYO)

TAKKYU ISHINO (TOKYO)

1983年7月16日生まれ。島根県出身。現29歳。服飾の専門学校を卒業後、アパレル会社に入社するが音楽の仕事に携わりたくなり退社。そしてclubberiaに就職。現在は編集長を務める。