2009-04-07 UP

PSYCHOGEM


Interview : 小野田雄

─ 渋谷から銀座線で浅草へ。そこから東武伊勢崎線の特急で左にカーヴを描きながら辿り着いた群馬県太田市。都心からPSYCHOGEM ことDJ HIROAKI の住む街へ。その路程は7 年の歳月をかけて完成させた彼のデビュー・アルバム『Nu Balance』がそうであるように、つかの間のトリップ感覚を味わわせてくれる。そして、降り立った太田駅は富士重工業の企業城下町として知られる北関東一の工業都市にして、南口には一大歓楽街、その先の大泉町には工場の労働者としてやって来た日系ブラジル人のコミュニティがある。そんな街に生まれ育った彼は18 歳の時に遠出して出かけた高崎のクラブで体験した大音量のアシッド・ハウスでダンス・ミュージックに目覚めたという。

そこで価値観ががらっと変えられて、神奈川に出てからバイトしつつ夜遊びしたり、レコード買ったりの日々。そうしたら、ある時、ロンドン留学から一時帰国した友達が“ 遊びにおいでよ” って。当時、ハードコア・テクノが全盛の時期で、表立ってやってるハウスのパーティはゲイ・ナイトくらいだったんだけど、そんなロンドンの街に飛び込んでいったんだ

─ ひたすらロンドンの夜を遊び倒す日々を送っていた彼は世界が注目するDJ ハーヴィーが主宰していた伝説のアンダーグラウンド・パーティ“MOIST” と出会う。

大人が遊びに来てて、毎回顔を合わせる連中は月を追うごとに顔がトロトロになって、ダメダメになっていく奴らばっかりだったんだけど(笑)、他のパーティとは全然違ったよね。ハーヴィーのプレイはムラがあったけど 、最高な時はフリーキーで本当にスゴかった。集まっている人たちが楽しむっていう一点に向かって意識が統一されていて、余計なことを考えずに没頭出来た。ただ、当時は後に語り継がれるパーティになるとは思いもしなかったけどね

─ そして、イギリスから帰国した彼は専門学校に通うかたわら、芝浦のクラブGOLD に勤務。そこでDJ がいらなくなったレコードを持ち寄って開いたレコード・ショップの店員に。

(高橋)透さん、NORI さん……DJ みんなのいらなくなったレコードが¥500 とかで売られていたんだけど、当時のダンス・ミュージック・シーンって、トニー・ハンフリーズとかティミー・ レジスフォードに象徴されるUS ハウスに傾倒していたから、80 年代後半から90 年代初頭のアシッド・ハウスだったり、トラックものが山のようにあって、それがホント面白かったし、色々教わったよ。あと、DJ としては、ラリー・レヴァンが最後に来日した“HARMONY TOUR” のフランソワ・ケヴォーキアン。あの時の彼は本当に凄まじいプレイをしてて、その衝撃は今も脳裏に焼き付いてるね

─ その後、GOLD の企画室でフライヤーほか印刷物のデザインを担当することになった彼はレジデントDJ だったDJ EMMA と川内太郎が立ち上げたユニット、MALAWI ROCKS に参加。音楽制作を始めることになる。

当時、EMMA くんが借りてたマンションの一室をMALAWI STUDIO と名付けて、持ち寄った機材で漠然と曲を作り始めたのが最初かな。俺はTR-909 でリズムを組むことから始めて、その後、太郎くんから託されたAKAI のサンプラーS3000 を三日三晩寝ずにいじってマスターしたことで、トラック制作の理解が一気に深まっていったんだ

─ しかし、これから面白くなっていきそうな時期に体調を崩した彼は療養のため帰郷することに。そして、定期的に地元群馬のクラブでレギュラーDJ をこなしながら、1998 年からESS RECORDS の店長を2 年半務めた後、2001 年よりVERTIGO RECORDS を始める。近年の太田市は郊外に出来た大型ショッピングセンターや主要幹線沿いのロードサイドショップに客足を奪われ、中心地はシャッター商店街と化しているというが、2005 年に閉店したレコード・ショップの看板は今もそのシャッター商店街の一角に残されている。くたびれた街を調子よく車で駆け抜けながら、DJ HIROAKI は群馬の音楽事情について語る。

横目でMALAWI ROCKS がメジャーになっていく様を見て、羨ましいなとは思いつつ、自分がやってるパーティも本当にやりたいことをやって、それを受け入れてくれる人たちもいてくれたから焦りはなかったし、群馬で楽しくやれればいいかなって。レコード・ショップに勤める前は週末にみんなで集まって、都内にレコードを買いに行ってたんだけど、その後、高崎にESS レコード、桐生にR レコードってお店が出来たり、前橋にNY から直でレコードを入れてたEBONY SOUNDS というお店があって、そこの品揃えは恐ろしく良かった。その後は自分で店もやってたし、ネットでレコードが買えるようになったから情報格差は感じなかったよね。クラブは、桐生にLEVEL 5 があるし、高崎にWOAL、太田にも昔だったら、ちょっと大きめな浜町ホール、今だと倉庫跡地に出来たRAISE、あとDJ バーもある。この辺は車社会だから、みんな遠出して遊びに行くんだよ

─ 車は彼が制作を続けている自宅敷地内の作業場へ。およそ15 畳ほどはあると思われるスペースには膨大なレコード・コレクションを収納したレコードラックとターンテーブル2 台にミキサー、デスクトップ・コンピューターにサンプラー、アナログ・シンセなど山のような機材、さらに足下には近年集めているというエフェクターが所狭しと置かれている。

音楽制作はしばらくブランクがあったんだけど、2002 年のある時、PC で曲作りを始めようと思って。そこから量産が始まるんだけど、定期的に出来た曲を(レーベル・オーナー兼DJ の)CHIDAくんに渡していたら、2006 年の始めに出来た“Morning Mist” をきっかけとして、今回のアルバムの話が始まったんだよね

─ ちょうど、彼が音楽制作を再開した時期、日本のアンダーグラウンド・シーンでは地殻変動が起こっていた。ディスコからディープなUS ハウスに至る一つの大きな流れがシャッフルされ、オルタナティヴなダンス・ミュージックが胎動を始めたのだ。

ロックとアシッド・ハウスを並行して聴いていたし、ロンドンでは“MOIST” に通いつつ、ハードなテクノでも遊んでいたり、常に色んな要素が共存していたんだけど、そういう自分でもいいんだって思えたことで、逆に原点に立ち返ることが出来た。さすがに高校生の時に聴いてたJesus & TheMary Chain が2000 年を越えて聴けるようになるとは思わなかったけど、そういうオルタナティヴな流れは自然に受け止めることが出来たし、いらない壁が取っ払われて、また一 段、音楽が面白くなった感はあるかな

─ こうして幾多の紆余曲折を経た彼は7 年間で作り上げた50 曲以上の楽曲から12 曲をセレクト。それらをブラッシュ・アップするべく、更に手を加え、ここに完成したのが本作『Nu Balance』だ。スピーカーの彼方へ伸びるイーブン・キックに誘われ、美しいシンセサイザーのレイヤーへとディープ・ダイヴ。ストレス・フリーの空間を浮きつ潜りつ、PSYCHOGEM とハウス・ミュージックの旅は海から山、そして宇宙へと果てしなく続く。CRUE-L のコンピレーション・アルバム『The Future Is Yours』に収録された話題曲「Runnin' Away」と808 STATE の名曲「Pacific」カヴァーの2 曲に日本が世界に誇るディスコ・ジャム・バンド、cro-magon をフィーチャー。全12 曲にはチルアウト、スペース・テック、メロウ・テック、ディープ・ハウスといった様々なスタイルが有機的に溶かし込まれている。

このアルバムって、実は3 回くらい選曲と形態が変わっているんだけど、その過程でもある人との出会いがあって。そこで自分の考え方が大きく変わったんだけど、それは埼玉の東松山に住んでいる CARI さんっていう人で、その人の音源をmyspace でたまたま聴いてベタ惚れしちゃって。すぐにコンタクトを取って、いきなり押しかけちゃったんだけど、その人のスタジオっていうのが倉庫一棟を借り切って、その中に1 箱作ってあったんだけど、アナログ卓とJBL の素晴らしいスピーカーがでーんとあって、プライベート・スタジオにしては十分すぎる設備、それから、その人なりにこだわった出音ががっつり出ているし、すごく立体的だったのね。そこで自分の音も聴かせてもらったんだけど、あまりにショボすぎて、これはダメだ、と。そこで ミックス・ダウン環境の大事さに気付かされて、加えて現在オヤイデ電気に務めている太郎くんからアドバイスを受けて。今回ミックスをした"Studio PINK NOISE" の電源周りとケーブルをオヤイデ電気のもので制作環境を整え直して、ほとんどの曲をミックスし直して、今の形に落ち着いたんだよ

─ 一筆一筆、色付けることで絵が描かれるように鳴りや厚みを吟味した一音一音を丁寧に配置することで空間やストーリーを作り出し、それらを動かすことで聴く者、踊る者を揺さぶるダンス・ミュージックの謎めいた魅力。その感覚的、抽象的な表現は作り手の経てきた体験や経験、知識の蓄積が如実に表れるわけだが、本作はこれまで述べてきた彼の数奇な音楽体験を凝縮、蒸留したものであると同時に聴く者の根元的な何かを刺激し、忘れていた感覚を呼び覚ます。

連れて行きたいところがあるんだ。この辺は面白い場所が多いんだけど、ここ最近は子供の頃に遊んでいた場所の再発見にハマってるんだよ

─ そう言って彼は車を走らせ、休日に過ごすお気に入りの場所へ。そこは遠くに大きな池が見える結構な広さの公園。所々に見える小山はこの辺りで発見された古墳だという。続いて訪れたのは、山道を分け入った、今は使われていない石切り場だ。むき出しの岩肌は真っ直ぐに切り取られ、幾何学的な風景が現出している。こうした不可思議な遊び場の再訪が彼の生み出す音楽とどう関係があるのか? 少なくとも言えるのは、アルバム『Nu Balance』は、“ 繋がり” や“ 広がり”、“ 流れ”を意識させる作品であるということ。

曲単位で聴かれるご時世だけど、自分はアルバムを通して、何を伝えたいかを聴くし、そこで自分の感情の変化を楽しむんだけど、そういう物語性は大事にしたいかな。一晩遊んでも、色んな感情があって、楽なところだけじゃないと思うし、今の社会も両手放しで幸せを謳歌出来る状況ではないじゃない? そういう意味でこのアルバムには色んな感情を詰めこむことが出来たと思ってます

─ ロンドン、東京、群馬、そして見たことのない風景へ。 2009 年、1 時間ちょっとの旅。あなたにはそれを感じることが出来るだろうか?

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