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THA BLUE HERB20周年
その時代時代に、吐き出してきたからこそ今がある

取材/文:富山英三郎
写真:則常智宏、Yanma



「針は変えたんだろうな?」
 1999年、未知なるラッパーからの先制パンチに、多くのヘッズが膝から崩れ落ちた。彼らの名は、札幌を拠点とするTHA BLUE HERB。結成は1997年。以来、自らの存在を誇示し、心の内側を追求し、人生を讃え、生きる意味を研ぎ澄ましながら歩んできた20年。客演も多く、今やヒップホップシーンを超え、あらゆる音楽好きからプロップスを得ている。そんなTHA BLUE HERBのフロントマンであるILL-BOSSTINOに、20周年を迎えた現在の心境を聞いた。



達成感を味わいたいとか、勝利を誇りたいということはまったくない

——7月にミックス CD『THA GREAT ADVENTURE』、8月に新曲『愛別 EP』、そして10月には日比谷野外音楽堂での結成20周年ライブと大きな花火が続きますね。
 
諸先輩方のことを思うと、「たかが20周年ごときで」という気持ちはありますよ。けれども、俺らは音楽だけを作って鳴らしてきたわけではなくて、札幌に住みながら自分たちで企画をして、ポスターやフライヤーを撒いて、曲を作って作品を発売して、ライブをやって、請求書を作って、その活動をホームページで公開してというすべてを自分たちで運営してきた20年だったから。「音楽だけをやってきた人たちとは濃さが違うんだよ」という意識はあって。だからって俺らの方が優れているということではないけどね。
 
ーーはい。
 
あとはこの20年間、告知や、CDの流通・販売、音源やライブの制作とか、いろんな人たちの力を借りてきたから。そういう人たちと、みんなで祝いたいという気持ちもあるよね。ありがたいことに、俺はいま46歳で、肉体も心もわりと自由に動く脂が乗り切った時期だから。そういういいタイミングで、みんなでド派手に遊ぼうって感覚ですよ。そこで達成感を味わいたいとか、勝利を誇りたいということはまったくなくて。
 
ーー記念すべき場所に、日比谷野外音楽堂を選んだのはなぜでしょう。
 
俺らみたいなやつらが、官公庁が密集しているようなエリアでやったら面白いよねって。そういう場所だからこそ、よりシリアスに聴こえてくる楽曲や言葉もあるはずだって話になって。とはいえ、野音は公共の施設だから、抽選で当たらないと使えないんですよ。やりたい人が多くて倍率も高いから、野音でやれるのは「運」でしかない。だから当選した時は素直に嬉しかったですね。
 
ーーミックスCD『THA GREAT ADVENTURE』では、DISC1がBOSSさんのラップ入りで、DISC2がO.N.Oさんのインストゥルメンタル、そしてミックスがDYEさん。この構成がすごくいいなと思って。改めて、O.N.Oさんのトラックの凄さを再認識させられました。
 
俺もできあがった音源を聴いて、DISC2にびっくりしたというか再認識した部分がたくさんあって。今回は俺の言葉だけで成立させてもつまらないと思ったし、インストゥルメンタルを入れることによってトライアングルになるなって。それに、O.N.Oのトラックだけでも、DYEなら世界観を作れると思ったから。
 
ーー昔の出来事を振り返るリリックを書くことはあっても、自分の作品をしっかり振り返る機会というのはそんなにないと思うんです。今回、改めて発見できたことや感じたことはありましたか?
 
基本的に言っていることは変わってないなって。そして、20年前に言っていることがあったから今がある。他のMCやヒップホップシーンに対する意見にトゲがあったとしても、その時代・時代に吐き出してきたから今があるんだよね。もはや他のMCや日本のシーンに言いたいことは、ネガティブな言葉はたいしてない。なぜかといえば、すでに言っちゃっているから。46歳にもなって他人様に対して、まだそんなこと言ってたらダサいなって思うし、本当は思っていたのに言えなかったなんてもっと終わってる。そういう部分では、常々言いたいことを言ってきて良かったかなと思いますね。



取材日はLIQUIDROOMでBRAHMANとのツーマンが控えていた。


ただのお祭りだと思って来たらつまらないよ、それくらいの覚悟で来てほしい
 
ーー以前、アルバム『TOTAL』の完成度を高めすぎてしまったがために、ソロという新しい場所を求めたと仰っていました。今回、THA BLUE HERBとしては4年ぶりの新曲ですが、産みの苦しみはありましたか?
 
『愛別EP』の3曲に関してはまったくなかったよ。楽しんでスラスラできた。アルバムを作るのとシングルを作るのは全然違うから。「野音で鳴らしたいな」って想像しながら書いたというのもあるし、20年間の思いを吐き出した3曲だよね。
 
ーー今やファン層もさまざまだと思うのですが、THA BLUE HERBを最近知った人たちが述べる感想は、昔と比べて変化がありますか?
 
変わらないですね。でも、「愛別」の名の通り、去っていった人もたくさんいて。その一方で、最近は「ひと段落したんで戻ってきました」って人も増えてきて、そういう時期に差し掛かってきたんだなって。ファンが増えていく一方の時代も楽しかったけど、そういうフィーリングもいいかなと思えるようになりましたね。長く続けていると、こういうこともあるんだなって。
 
ーー野音だと、子どもを連れて戻ってくる人たちもいそうですよね。
 
もちろん、子どもと過ごす未来っていうのは、人生の大きなテーマのひとつだと思う。次の世代に受け継がれていくことは「喜び」以外の何物でもないしね。まだ俺には子どもがいないけれど、そういう人たちが野音に来てくれるのは嬉しいこと。だけど、「来てくれる人たちならわかってると思うけど」っていうか。俺らが間に挟んできたのは「言葉」であって、言葉を理解できないとそこにいる意味はないから。外国人のお客さんでも同じだよ。「何を言っているかわからないけど、かっこいいことは俺にもわかるよ」なんて甘い表現じゃない、「俺らの詩世界というのは、もっとエグいんだよ」って。だから、ただのお祭りだと思って来たらつまらないよ、それくらいの覚悟で来てほしいね。


真理に近づくってことは、結局「死」に近づくってことだから
 
ーーBOSSさんはこれまで一貫して、「真理」に近づこうとラップをしてきたわけですよね。一方で、「真理」なんてものはたくさんあるわけではなく…。そう考えると、どうしても自分のリメイクになってしまう怖さがあると思うんです。
 
怖さがないこともないけれど、真理に近づくってことは、結局「死」に近づくってことだから。その恐怖は一日ごとに近づいてくるわけで、ガキの頃はそんなこと考えもしなかったよ。ファーストアルバムで「オレもオマエも誰も死ぬために生きる」(ONCE UPON A LAIF IN SAPPORO)なんて、26歳の俺がほざいているけど。まぁ、その歳でよくぞそこまで近づいたとは思うよ。でも、今の俺はあの頃よりも20年分、その「真理」に近づいたわけで。逃れられない、その「真理」ってやつに。そう考えると、近づけば近づくほど、その表現は面白くなっていくよね。禁断の領域に入っていく。だから、リメイクしながら生まれ変わっていくよね。
 
ーーそういった「真理」も含め、社会のことや日本、世界と問題意識が高まってくると、例えば社会貢献組織のような、ラップじゃないことをする選択肢もあると思うのですが。
 
基本的に出処はただのチンピラだからね、叩けば埃なんていくらでも出るから。もちろん、社会貢献的なことで俺にできることはずっとやってきたけど。リーガルな世界で、そういう人たと一緒にやっても迷惑かけるだけだから。俺だけで責任取れるところでいいね。もちろん、皆に支えられている意識もあるし、それを還元しながらみんなで発展していきたいという意識はあるけれど。でも、やっぱり「個」だよね。俺とO.N.OとDYEですらそうだから。3人それぞれがTHA BLUE HERBという看板を持ちつつも、自分自身でどうやって生きて行くかっていうのは「個」に委ねられている。




新しく何かをすることより、続けることにこだわってきた
 
ーーTHA BLUE HERBとしてやっていくうえで、3人のなかでルールはあるんですか?
 
そんなこと喋ったこともないね。でも、なぜだろうね。「THA BLUE HERBはこうあるべき」なんて話したことは一度もないけれど、3人ともほぼ同じような歩幅で進んで来れた。今聞かれて思ったけど、ほとんど俺が決めてきたんだよ。「コレをやろう、次はアレをやろう、これはヤラない」って。そこをO.N.OやDYEが信じてくれているからだと思う。
 
ーー会議をすることもない?
 
一回もしたことがない。なんだろうね、不思議だね。DYEとの練習は今でも週2回続けているけど、言語で示し合わせて再確認した記憶はないね。
 
ーーそれはすごいですね。曲の作り方で変わってきたことは?
 
それもないですね。今回もO.N.Oがトラックを送ってきてくれて。そこから選んで、俺が書いてきたリリックを合わせるっていう、いつもの感じですね。
 
ーー決め事を作らず、本当に20年間同じことを続けてきたんですね。
 
ただそれだけですよ。今はみんなやっているけれど、札幌に住みながら自主制作で運営するということは当時新しかった。でも、あとはずっと同じことを続けてきたんだよね。毎月1日にホームページを更新することも、誰が見ているのかということよりも、まるで信仰のように続けてきたというか。新しく何かをすることより、続けることにこだわってきた感じですね。

 
 
配信だと「音楽を売り渡す」っていう感覚が起きない
 
ーーこの20年で社会がもっとも変わったのは、デジタルやインターネットだと思います。そこに関してはどんな思いがありますか。
 
俺もそこが一番変わったと思うよ。ファーストアルバムの頃は、FAXで注文を取ってレコードを送ってたから。その4~5年後から波がきたんだけど、俺らはその恩恵を思いっきり受けているよね。もはや、札幌に住んでいることはメリットでしかない。俺らの活動において、インターネットが普及したことは大きい。
 
ーー配信に関してはいかがですか?
 
やってる音源もあるけど、配信はね、まだ全面的にはやりたいと思わないですね。「音楽を売り渡す」っていう感覚が自分たちにとっては大きいから。細切れにされてカタチのない状態だと、「売り渡す」って感覚が起きない。冒頭にも言ったように、音楽だけをやってきたわけじゃなくて、ビジネスを続けてきたんで。売って買ってもらう喜び、買って所有する喜びも含めて、お客さんたちとの関係を築いてきたから。ディストリビューターがいて、バイヤーがいて、お客さんの手に届く。デジタルから考えると面倒臭いプロセスだけど、俺らはまだそれでいいかなと思っていますね。もちろん、収支が合わないから止めたビジネスはこれまでにもありますよ。でも、CDを作って大切にしてもらう感覚は、今のところまだ俺らにとっては信じるに足ることですね。
 
ーー年内、まだ20周年のお祭りは続きますが、その先はすでに何か考えられていますか?
 
いや、まったく考えてないですね。まずは今年を無事に終えたいなって。ぶっちゃけ、今日のライブのことで頭がいっぱいで、野音なんてまだまだ全然先というか。毎回すべてを出し切っているので、そこまで考える余力はないですね。