本特集第2弾は、この映画内で多くのリスペクトを得ていたスーパースターLouie Vegaと、〈King Street Sounds〉〈Nite Grooves〉を運営し、本作品にも登場していたHisa Ishiokaへインタビューを行った。両者は、まさに当時のニューヨークハウスシーンの中心にいた人物である。そんな彼らの目には、当時のニューヨークはどのように映っていたのか?中心にいたからこそ見えた景色は、どのようなものだったのか話を聞いた。

Interview:Kazov Japan & yanma (clubberia)
Photo:難波 (clubberia)

ハウスは俺にとっても特別な音楽なんだ。信仰に近いんじゃないかな。ハウスミュージックが生まれてから30年近くになるけど、1番自分の人生に密着している本当に特別な音楽だね。
- Louie Vega -



- 90年代とはハウスミュージックの歴史、そしてあなたのキャリアにとってどういった時代だったのでしょうか?

Louie Vega:1985年にニューヨークでDJを始めて、1990年までクラブでDJをしていたんだ。そして1991年に若いオーディエンスでいっぱいの大箱で回すことがあったんだけど、そこではいつもと違うタイプの音楽をかけた。ハウスもかけたけど、フリースタイル、クラシックス、ディスコ、ヒップホップ、レゲエ、いろいろなジャンルをかけたんだ。

5年間クラブでDJをした後、アルバムを作るために1年くらいDJをしなかったんだ。〈Atlantic Records〉からリリースした『When The Night Is Over』っていう'Little' Louie & Marc Anthonyのアルバムなんだけど、製作中にTodd Terryに紹介されてKenny Dopeと出会ったよ。

その後1992年に"The Sound Factory Bar"でDJを再開したことは、90年代のハウスムーブメントにとって大きな意味を持った。水曜の夜にDJをしていたんだけど、DJ、ダンサー、業界人、音楽ファン、みんながそこに集まっていたよ。俺が地下で回して、Francois KやKenny Carpenterが違うフロアで回して、本当にいろんなDJが出演していた。俺は「Underground Network」のレジデントDJだったんだけど、水曜日の夜はArmand Van Helden、Erick Morillo、Todd Terry、Kenny Dope、Roger Sanchez、有名なプロデューサーたちがみんな集まっていたから自然と試験場みたいにになっていった。もちろんそこ以外にも週末に最高なパーティーを開催する"Shelter"もあった。でも俺たちのパーティーは、音楽業界を1つにまとめるような役割をしていたんだ。最先端だしみんなが注目してたよ。

当時たくさん曲を作っていたけど、Masters At Workがスタジオでレコーディングし終わったら、次の水曜の夜にはクラブでかけるから、クラブに行けばどこよりも最先端な音楽が聴けたんだよ。プロデューサーたちもDJにかけてほしい曲を渡してきたりもした。だからこのパーティーがハウスシーン全体を作っていたと言っても過言ではないんだ。若いDJ、プロデューサー、シンガー、ダンサーみんなが1つになっていい音楽を作っていたんだよ。1つのジャンルから新しいジャンルを生み出したんだ。
80年代後半から90年代初頭にはフリースタイルも作っていたけど、俺が"The Sound Factory Bar"に行ってた時はちょうどハウスのトラックをたくさん作り始めた時期だったんだ。それも含めて自分のキャリアにとって大きな変化だったよ。気が付くとムーブメントの中心にいたんだ。DJとしていろんな記録を更新したから。レコードもたくさんリリースしてたしね。ニューヨークで生まれた新しいサウンドでオーディエンスを教育していたんだ。




- 若い世代が「Back In The House」から学ぶべきことは何でしょうか?

Louie Vega:「Back In The House」は素晴らしいと思うよ。監督のDJ Faridは90年代のエッセンスを見事に切り取った。彼は当時俺たちを追いかけ回してたんだけど、みんなただのファンかと思っていたんだ。たぶん彼自身も当時は映画を作るなんて思っていなかったんじゃないかな。「Louie、スタジオに行ってもいいかな」「Louie、インタビューしてもいいかな」ってとにかく追いかけ回されたよ。だからこそ、この映画は今まで俺が見てきたどんなドキュメンタリーよりも90年代の本質をとらえている。だってニューヨークからマイアミまで俺たちを追いかけたりもしたんだ。

そして今、90年代の音楽は若い世代に大きな影響を与えている。若い世代の子たちがMasters at Work、Todd Terry、Roger Sanchezのサウンドに影響を受けたって話をよく聞くよ。
Basement.Boys、Kerri Chandler、とにかくたくさんの90年代のサウンドが現代の音楽制作に影響を与えているんだよ。でも俺は違う見解もあると思う。90年代当時は20年前のディスコ、R&B、ソウルを聴いてた訳だ。でも今、2010年代に90年代の音楽を聴いてる。これも20年前の音楽なわけで、理にかなっているように思うんだ。Disclosureとか、今リリースされてる音楽を聴くとMasters at Work、Todd Terry、Roger Sanchez、Armand Van Helden、いろんな90年代のサウンドに影響を受けているのが見て取れるよ。音楽全体がまとまってきているようで良いことだと思うよ。若い世代が昔の音楽に手を伸ばして学んでいく。俺たちは先生の役割を果たしているんだ。それによって俺たちも若い世代と繋がることができる。今だってNick Monaco と作業しているよ。違う世代と交流を持つのは素晴らしいことだと思う。



- 多くの人々がハウスミュージックに魅力を感じる理由は何だと思いますか?

Louie Vega:ハウスは俺にとっても特別な音楽なんだ。信仰に近いんじゃないかな。ハウスミュージックが生まれてから30年近くになるけど、1番自分の人生に密着している本当に特別な音楽だね。説明するのは難しいんだけど、とにかく引き込まれるんだよ。それに全く飽きないんだ。ハウスのプロデューサーとしても4つ打ちの中でビートや音楽を反転してみたり新しい試みを続けている。まだまだできることがたくさんあるんだ。ハウスは自分を表現するために帰る場所。とても美しいことだよ。リズミカルで踊るには最高だしね。どんな人でも踊らせることができる音楽だと思うよ。アメリカでは受け入れられるまでに少し時間がかかったけど、今ではどこでもハウスへの理解が深まっているように感じる。14歳になる息子がラジオでDisclosureの「Latch」を聴いて、「お父さんDisclosureって誰?」って聞いてきたんだ。今までは4つ打ちを聴いてもツーツーツーっていうハイハットの音しか聴こえないって言ってたんだよ。ほとんどの人が初めてエレクトロニックミュージックを聴いた時同じ感想だったと思うんだけど、今ではいろんなジャンルもできて若い世代の子たちも興味を持っている。何においてもムーブメントを起こすのは若い世代なんだ。



- 劇中でたくさんの人々があなたを尊敬していると話していましたが、あなたにとってのヒーローは誰ですか?

Louie Vega:まず俺のしてきたことをたくさんの人が評価してくれていることは、すごく嬉しく思っているよ。それこそが俺が今まで音楽をやってきた理由だし、これからも良いものを作り続けようというモチベーションを与えてくれるんだ。
ヒーローはたくさんいるよ。Frankie Knucklesは真のヒーローだし、David Morales、Tony Humphries、Derrick May、Kevin Saunderson、Gilles Peterson、David Mancuso、・・・本当にたくさんのヒーローがいる(笑)。 それぞれが特別な魅力を持っているんだ。みんなからいろいろ学んだんだ。みんながしてきたこと、していることを心から尊敬しているし常にチェックしているよ。自分自身のモチベーションを高めてくれる大切な存在だ。Todd Terry、Kenny Dope、Kerri Chandler、Basement.Boys・・・リストはまだまだ続くよ。DJの話をしてたけど、プロデューサーだってたくさんいる。Quincy Jones、Stevie Wonder。俺はDJだけじゃなくプロデューサー/ソングライター/バンドリーダーでもあるからね。いろんな方面から影響を受けてきたんだよ。

90年代初頭ってサンプリングを多様したハウストラックがブームになってきていて、それはそれですごくクリエイティブだし嫌いではなかったけど、80年代にすごくインスパイアされた歌ものがすごく減っていたので、そういったものをリリースしていきたいというのが〈King Street Sounds〉を始めた動機です。
- Hisa Ishioka -




- まず90年代の印象を聞かせてください。劇中でHisaさんは、80年代半ばにいいボーカルものが少なかったのでレーベルを立ち上げられたというお話をにされていたのですが、実際に今振り返ってみてどんな印象をお持ちでしょうか?

Hisa Ishioka:80年代は面白かったですね。というのも自分も若かったですし、90年代はレーベル運営という仕事がありましたから。誰の目も気にせずにフラフラ遊べなくなったし、プロモーションもしないといけなかったし(笑)。そんな理由もあって個人的には、クラブ自体も社会的な背景も80年代の方が楽しかったですね。



- 劇中でいいボーカルものが少なかったから、ボーカルものを作るという話をされていましたが、それは遊んでいてボーカルものが無くてつまらなかったから、あるいはビジネス的に勝機が見いだせたからでしょうか?そこに着手した動機は、何が1番強かったのでしょうか?

Hisa Ishioka:うーん、やっぱり80年代中盤にニューヨークに移り住んで、"Paradise Garage"とか"Zanzibar"とか"The Loft"とか、すごく良いクラブがいっぱいありました。自分もそういうところで遊んでいて、すごく感銘を受けたのがゴスペルチックな歌声だったりソウルフルな歌ものだったんです。90年代になって、自分がそういったシーンの中で学んできたものを、シーンにフィードバックできないかというところで始めたのが〈King Street Sounds〉です。90年代初頭って割とサンプリングを多様したハウストラックみたいなものがブームになってきていて、それはそれですごくクリエイティブだし嫌いではないんだけど、80年代にすごくインスパイアされた歌ものがすごく減っていたので、そういったものをリリースしていきたいというのが〈King Street Sounds〉を始めた動機です。



- 1人で始められたんですか?

Hisa Ishioka:手伝ってくれる人は、2人ほどいました。



- 日本から単身で渡米されてレーベルを立ち上げられたわけですよね?

Hisa Ishioka:そうですね、最初はレーベルを始めるために行ったわけではなかったんですけど、22、3歳くらいの時に渡米しました。その前はインテリアデザインの学校に行っていて、1年だけ就職したんですけどあまりおもしろくなかったんです。デザインの勉強もしたかったんですけど、自分の環境を変えようと思って、昔から行ってみたかったニューヨークに移ったんです。そして"Paradise Garage"の雰囲気、音楽を通じてLarry Levan がフロアを自由自在にコントロールすることなど体験してみて、形を追っていくデザイン的なものよりも、音楽で生まれる空気感などに興味を持つようになり、やりたい事が360度変わったんです。



- 当時、日本からアメリカへ行っている人は、かなり少なかったと思うのですが差別などはありましたか?

Hisa Ishioka:うーん、差別ってほどのものは無かったですね。当時"Paradise Garage"とかだと85%くらいが黒人かヒスパニックで、僕らが行きだした後期は、ヨーロッパとか日本の人も少しずつ増えたけど、ほとんど黒人かヒスパニックが中心でした。ニューヨークの人っていろんな人種の人に慣れているだろうけど、ニュージャージーの"Zanzibar"に行った時は、95%位が黒人で、アジア人が来てるわ、みたいな好奇な目で見られたっていう記憶はありますね。
あとはレーベルを立ち上げた後のビジネスの視点から言うと、ハウスって新しいシーンで、インターナショナルなものだし、アジア人、まして日本人がレーベルをやっているっていうのもほとんどなかったし、当時はやっぱり黒人とかヒスパニックのプロデューサーとの付き合いも多かったんで、差別ではないけど珍しがられたのかなっていうのはありますね。



- そもそも90年代にニューヨークでハウスがビジネス的にあそこまで盛り上がったのは、在住されていたHISAさんから見てどういった経緯があったとお思いですか?僕も少し滞在したことがあったのですが、水曜日に”Sound Factory bar”に行って週末は”Tunnel”とか行って、日曜日はVinyl行って。毎日どこかしら行くところがありましたし、Dance TracksもあったりEight Ballもあったりしてばんばんバイナルを買って、。ラジオではWBLSとか聞けるしっていう、どこに行っても何をやってもシーンに接触できたと思うんです。日本でもすごく売れましたし。なぜあそこまでになったのでしょうか?

Hisa Ishioka:今思うと一種のブームですよね。メジャーなレコード会社もハウス系のアーティストと割と契約してたし。



- その後、勢いが衰える時期が来ると思うんですけど、逆になんで衰えたのか不思議というか、日本から見ていて上り下りが急なように見受けられたのですがそういったことにはどんな現象があったのでしょうか?

Hisa Ishioka:フィジカルが売れなくなったっていうのがありますよね。売れない理由には、ディストリビューターがどんどん潰れていったという背景があって、業界を取り巻くビジネスがあまりしっかりしていなかった。例えば流通にしても、ディストリビューターからオーダーが来てレーベルは言われた枚数を納めても、それを買い取ってもらえる訳ではなく、数ヶ月して売れ残ったものは全部返されて、そこから支払いを受けるに関しても先方のビジネスの調子が悪かったらそこから何ヶ月も待たされたりとか。まあこんな話してもしょうがないよね(笑)。

90年代に作っていたようなトラックが、今になって当時よりも見直されているというのは感じますね。
- Hisa Ishioka -

- 劇中でも「Body&Soul」のオーガナイザーが出てきて最後の方にシーンの落ち目というか、ちょっと元気がなかったことについて何人か触れていたんですよ。

Hisa Ishioka:でも99年は、まだまだシーン自体に力はあったと思います。90年代に始めたから当時は当たり前だと思っていたんですけど、今思い出すと全然アナログもCDも売れていたし、ビジネスとしてはもっと規模は大きかったかもしれないですね。

今は、完璧に配信ですからね。アナログもここ数年少しブームになったけど、昔みたいに数千、数万単位で売れる訳ではなく、プロモーションと割り切って刷っている人も増えています。うちも今年の始めからイギリスのディストリビューターに頼まれて昔のバックナンバー刷り始めたりしているけど、主流は完全に配信ですよね。

90年代はニューヨーク、ニュージャージーのプロデューサーとかアーティストの作品をリリースすることがほとんどで、もちろんヨーロッパとか日本人の作品も出していたけどやっぱりニューヨーク、ニュージャージーにすごく良いプロデューサー、アーティストが固まっていたんで。そうやって顔の見える人たちと仕事をするのが当時は当たり前で、ヨーロッパとか日本の人も知っている人でしたし。最近では顔も知らない、会ったこともないような人とメールのやり取りだけで契約してリリースしたり、何作か出していても,一度も会ったことがない、電話で話したこともないということも多くて。ビジネスというか契約もオペレーションの仕方も変わってきましたよね。



-〈King Street Sounds〉も〈Nite Grooves〉も、Kenny BobienとかAnanda Project が出始めたあたりから僕はチェックし続けているんですけど、一貫してグルーブの中身が変わっていないように思うんですね。マーケット上にはいろんなシーンの盛り上がりがあるので、商業的に考えれば多少そういったことも考慮して経営していくということも選択肢にはあると思うのですが、買っていると一貫して変わっていないんですよね。例えばキックについても、昔の707とかをそのまま使っている曲もあったりして。

Hisa Ishioka:今は割と90’sリバイバルみたいなものもすごく人気があるし、ベルリンの新しいタイプのディープハウスのシーンから出てきた最近売れているアーティストやプロジューサーもヒーローがKerri ChandlerだったりDj Pierre,, Jovonnだったりと。あの人たちが90年代に作っていたようなトラックが、今になって当時よりも見直されているというのは感じますね。

反対にうちでいうとボーカルものよりも当時は〈Nite Grooves〉から出していたようなKerri ChandlerとかMood II SwingとかDJ Romainとかの作品がまた見直されているよね。あんまりジャジーとかアフロではなくてもっとトラックスというか。



- もともと〈Nite Grooves〉を作られたきっかけってなんだったのですか?

Hisa Ishioka:〈King Street Sounds〉は、基本的にはソウルフルなボーカルをコンセプトに93年にスタートしてレーベルなんですね。1年やってそういうレーベルカラーができあがったので、もっとトラックものやアフロビートだったりラテンテイストなものを出していきたくなりました。例えばAnanda Projectのものとか、ハードハウスとか、もっとグルーヴィーなトラック物とかを出したかったと言うか。しばらくすると、徐々に枚数出せるようになってきたので、〈King Street Sounds〉から出すものと住み分けをするために〈Nite Grooves〉を作りました。
ちなみに5年前から〈Street King〉っていうのをやってるんですけど、これは配信に特化した、テックハウスやインディーダンスをリリースしています。




- 90年代のニューヨークの社会情勢が音楽に与えた影響を感じたりはしましたか?

Hisa Ishioka:80年代中盤に関して言うとディスコからの流れはあって、ゲイカルチャーもエイズの問題が出始めでまだそこまで90年代ほど深刻ではなかったんだよね。もっと快楽的で開放的だったんだけど、90年代に入ると社会情勢も80年代に比べると少しずつ保守的になってきたり。とはいえ2000~3000人規模の大箱クラブはいっぱいあったしね。自分が若すぎて何も考えてなかったぶん、すごく楽しい時代でしたね。開放的だったし、いい意味で音楽とファッションとアートがクラブシーンと密接にリンクして、独特のカルチャーを作っていたしドラッグも蔓延していたんだけど、クラブシーンはすごくクリエイティブでパワフルでした。

90年代の頭くらいからCrystal WatersやAdevaやFrankie KnucklesやDavid Moralesといったハウス系アーティストがメジャーレーベルからアルバムをリリースしたり、 Masters At WorkやJunior Vasquez, Hex Hector やDef Mix Productionsなどに依頼してシングルカット用に,ハウスリミックスをたくさん作ったりだとか、ハウスが音楽産業的に発展していったんですが、ただシーン自体は、ディスコブームが終わりハウスミュージックが出てきて、90年代初頭からメジャーもハウスに着手しだすけど、 アーティストが前面に出て、MTVでヘヴィープレイされて,大規模なプロモーションをして、大きく売るという音楽ビジネス的な構図が ハウスには確立されなかった。その結果、メジャーレーベルはハウスから離れていき、再びアンダーグラウンドに、、。そして ディストリビューターたちやお店が潰れていって。

ここ10年くらいフィジカルは、アナログもCDも徐々に減っていって、Beatport、Traxsource,itunesあたりが10年くらい前から始まった。当時は配信が始まったばかりでレーベルとしては、両方やらないといけないような状況が続き、徐々にフィジカルが落ちていき、配信が上がって、ここ5年くらいは配信がメインで、それプラスフィジカルを刷るところは刷るし、配信だけのところもある、みたいな状況になったのかな、だから6、7年前っていうのはあまりにもシーンの流れが速くて。フォーマットも全く違うし、アーティストとの契約状況もそれに合わせて変わっていき、レーベルを運営するにあたってマインドセットを180度くらいしないとという感じで。今は落ち着いてますけど戸惑った時期もありましたね。


INFORMATION | インフォメーション

BACK IN THE HOUSE - バック・イン・ザ・ハウス

発売日:12月10日(水)
監督:Farid Slimani
価格:3,990円(税抜)

【取扱い店舗一覧】

臼杵 杏希子 (TEAL Inc.代表)

先日試写見て来ました。まずは、良くこれだけ撮り溜めてくれた!ありがとう!と言いたくなるような映像がいっぱいです。
90年代のニューヨークというのは80年代中、後半にシカゴ経由でPARADISE GARAGEから生まれたハウスミュージックという音楽とダンスシーンがそれぞれ本格的な作品となり、世界的なヒットやトレンドになって行った時代。この映像を見ると当時のニューヨークのハウスミュージックを中心としたダンスミュージックと音楽ビジネスが大きなものでレコ屋も、レーベルもDJもたくさんいて、いかにパワフルで魅力的なシーンだったかというのが改めてわかるドキュメンタリーでした。
当時絶大な人気のJunior VasquezやDanny Tanagliaのレジデンツパーティシーン、音楽業界人が集まるBarbara Tuckerのパーティ"Underground Network"@ Sound Factry Bar、初期のマイアミWMCとか、ね。2時間くらいあるので途中で出てくる人が誰か良く解んないところもあると思いますが、特にこの業界の方は知り合いとかも出て来て面白いと思いますし、ハウスが好きな人、ダンスミュージックとそのカルチャーや90年代に興味ある人も是非一度見てほしい作品です。