INTERVIEWS
>

OFF THE ROCKER

大沢伸一(以下、大沢):
正直なところ、このユニットにはそこまで綿密なコンセプトはないけどね(笑)。それにじつは、OFF THE ROCKERは上村(真俊)君がリーダーなんですよ

上村真俊(以下、上村):
一応、そういうことになっているんです。大沢(伸一)さんがみんなに言うんですよ、「リーダーはこっち(上村)だから」って(笑)。結果、いつの間にか僕がリーダーっぽい立ち位置になったというか」 上村:
「もともと、以前から共演する機会も多かったんですよ。というのも、00年代前半は僕らみたいな選曲をする人がいなかったんです。だから、同じようなパーティーに自然と(DJとして)呼ばれるみたいな」

大沢:
おそらく03年後半ぐらいですね。当然、エレクトロなんてジャンルはなくて、エレクトロクラッシュとかディスコパンクとか呼ばれていて。まぁ、呼び方はどうでもよかったんだけど、つまりエレクトロが覚醒し始めていた頃の音楽。当時、それを「いまの時代のニューウェイヴだ」って感じたんですよ。同時にこれこそ新しい音楽だと思って、すぐに飛びついた。だけど、日本でそういう音楽をプレイしているDJがいなかったわけです 大沢:
実際、僕と同じような選曲をする人を探していて、bonjour (records)の上村君という名前を聞いたんです。そのすぐ後に同じパーティに出演する機会があって、そこで彼のプレイを聴いてみたら……完全にイカレていた(笑)。コイツは面白い、って思って交友を持つようになったんです。

上村:
最初に会ったのはボブ サンクラーの来日パーティでしたよね。「RAD」のオーガナイザーでもある西村(洋一)くんがオーガナイズしたもの。そこで大沢さん、僕、西村君が出会ったわけです。しかも、ちょうど僕はその当時、Kitsune(GildasとMasayaが在籍するパリのクリエイター集団)を日本で盛り上げようとしていたんですね。だったら、大沢さんにも協力してもらおうと思って

大沢:
僕もKitsuneの音楽には共感を持っていたから、タイミングもよかったのかな。当時、彼らの作品をちゃんと紹介しているのって、bonjourぐらいだったでしょ

上村:
そうですね。だって、03年ってザ ラプチャー(UK経由でブレイクしたNYのダンスバンド)がデビューしたときですよ。ようやく、新しい音楽として日本に上陸した頃ですからね。 大沢:
そう、アイコン的なアーティストが日本では全然爆発していなかった。世界的にはフェリックス・ダ・ハウスキャット(エレクトロ・クラッシュを牽引したアシッドハウス系統のクリエイター)やベニー・ベナッシ(イタリアンエレクトロ/ハウス界の中心人物)が世界的に人気を集めていたと思うんですよ。でも後者の代表曲"Satisfaction"あたりをクラブでかけても、みんな、どう踊っていいかわからないわけ。「何なの、これは?」って注目はしてもらえたんだけど……

上村:
だからこの7年間で、状況は激変しましたよね。Gigolo(DJヘルが主宰するレーベル)とかが先頭を切ってシーンを動かしているだけだったのに、いまではエレクトロがメインストリームな世界をも席巻しているぐらいだから 大沢:
まぁ、歴史だけを見るとそうかもしれませんね

上村:
エレクトロ界のやすきよ(横山やすし・西川きよし)です、僕らは(笑) 大沢:
いやもう、絶対にこっち(上村)でしょ! だいぶ僕が歩調を合わせていますから(笑)。ただ、そういう予想外なプレイをしてくるところが、OFF THE ROCKERを結成してバック・トゥ・バックのスタイルでやってみようと思った理由でもあるんですよね。それぐらい彼の選曲や発想はブッ飛んでいたんです

上村:
かたや僕は、大沢さんのテクニック的な部分から影響を受けることが多くて。そういう面も、OFF THE ROCKERをやる意義みたいなものになっていますね。

大沢:
あっ多分それは、DJとしてのスキルではない部分かもね。実際、僕はそれほどDJとしてのキャリアは長くないんですよ。けど、ミュージシャンとしての経験や知識は身に付いているから、打ち込みで制作している感覚の延長線上でDJもやっているというか。つまり、DJ的なスタイルの上村君、ミュージシャン的なスタイルの僕、その違いもまた、お互いを感化しているのかもしれませんね。 大沢:
普通、そうですよね。例えば、僕がDJ EMMMAさんからバック・トゥ・バックをやろうと誘われたら、恐縮すぎて、戸惑ってしまうと思う。でも上村君はそれがないんですよ。「わかりました、大沢さんと(バック・トゥ・バックを)やりましょう!」って即決(笑)。なんというか、気負いや萎縮してしまう感じがなくて、だからこそ僕も楽しめるんですよ。

上村:
確かに、気負いはなかったかもしれませんね。むしろ、大沢さんのスキルを盗もうと思っている(笑)。CDJを楽器のように扱っている姿だったり、選曲の流れはホント勉強になるんですよね。 大沢:
いや、2人のなかで取り決めは作らないようにしているんですよ。お互いが知らない曲をかけあうっていうフレッシュなものであるべきだと思うので

上村:
打ち合わせは一切ないですよね。むしろ、それをやってしまうと自分たちが面白くないのかなって。いい意味で僕らは飽きっぽいんで、毎回、新鮮なサウンドを出し合うのが好きなんですよね。 上村:
う~ん、そうとも限らないかもしれませんね。確かに、流行や最先端な音楽を体感したくて、僕らのパーティに来る人も多いと思うんですよ。でもいまって、まさに変革期というか、絶対的なトレンドはない。だから僕らも結構、自由にプレイしていますよ。例えば、過去の曲を新しい角度から使ってみたり、違う聴かせ方をしてみたり。そうすることで、最新の楽曲ではないんだけど、新鮮に聴こえるんですよ。

大沢:
それにエレクトロと呼ばれているここ数年のモードは、もう僕らにとってはエキサイティングなものではないんです。多分2年前ぐらいから、(エレクトロに)飽き始めていて。その結果、いまの自分のモードは"テクノ回帰"。エレクトロマナーでテクノを鳴らすというか。自分がリスペクトしていたラディカルなエレクトロアーティストも、徐々にそういう方向にシフトしているみたいですよ

上村:
同様に僕も、エレクトロに限定したDJセットはまずなくなりましたね。ハウス、ディスコ、テクノなど自分の好きなポイントを混ぜる感じ。なんというか、言葉で説明するのは難しくて、感覚的な自分だけのモードがあるんです。

大沢:
うん、とにかくエレクトロがヒップでエッジーなものだった時代は終わったんじゃないかな。一般的に言うと、もう大衆化してしまった音楽だし、極論を言うと、エレクトロはかっこわるい音楽の呼称になってしまったとさえ思っていて。少なくても、オシャレでカッティングエッジな音楽とは言い難いのかな。 大沢:
まずは楽しいパーティーにするのが大前提としてあって、あとはOFF THE ROCKERとして何ができるか――その発表の場だとも思うんですよね。いま、自分のニューアルバムを制作中なんですけど、終了次第、上村君との共作音源も発表したいんですよ。ただね、このリーダーが忙しいんで! 上村:
純粋にエッジーな感覚はきっちり残して、かつ自分の好きな音楽を届けたいですね。それこそエレクトロなんて固定概念はなくして、ジャンル間を飛び越えたい。

大沢:
ゲストアーティストもジャンル関係なく呼ぼうと思うんですよ。フレッシュで面白いサウンドをやっている人をどんどん紹介したいなって。それに、AIRでやる意味もあると思うんですよ。(「RAD」のオーガナイザー)西村君がしばしば自分のパーティーをやっている場所だし、かつ僕と上村君が初めて出会ったのもAIRだった。規模的にもいろんなチャレンジがしやすい空間ですよね。

上村:
極端に"RAD"(過激)な方向に行っても、AIRならば最終的にはまとまる。もちろん、サウンドシステムも優れているので、個人的には大好きな箱なんです。

大沢:
あとはバンドとかとも共演できたらいいなって。他にも、"RAD"というブランドを活かしたミックスCDなんかを作るのも面白そうだよね。西村君、今後の展開にも期待してますよ(笑)。 上村:
えっと、"RAD"なものにしたいですね!。

大沢:
うわ~、ずいぶんと簡単にまとめたな~(笑)。いやいや、このパーティ名にしておいてホント良かったね。"名は体を表す"じゃないけれど、まさにエッジーなパーティですよ、「RAD」は。最初なんて、タイトルを"豆"にしようなんて案もあったでしょ

上村:
あっ、ありましたね! 僕は短い名前にしようと思っていたんで(笑)

大沢:
とにかく"RAD"なパーティにするんで、楽しみにしていてください!