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京都大学西部講堂

ABOUT 京都大学西部講堂

京都大学西部講堂は1937(昭和12)年に平成天皇の誕生を記念して建築され、1963年(昭和38)に現在の場所に移築されました。
もともと西部講堂は剣道部やバスケット部などの練習場として活用されていたようです。それが映画や演劇などサークル活動の場として活用されていったのは、戦後すぐ、当時の教授が法経にあった映写機を運び込んでからのことでした。西部講堂を運営していたのは「映画演劇連合(=映演連)」というサークルの集合体でした。映画監督の大島渚が学生の頃に所属していた「創造座」も、西部講堂で公演を行っています。1970年の大晦日、西部講堂で「Fuck'70」と題された大晦日徹宵ロック・コンサートが開催されました。これ以降開催されつづけた西部講堂の大晦日コンサートは「出演すれば必ず売れる」と言われ、ジョニー大倉、矢沢永吉といった人たちを輩出していきました。1971年には伝説の音楽イベント「MOJO WEST」が開催されています。このイベントからは豊田勇造や村八分などが登場していきました。翌72年、学生運動との関わりの中で、西部講堂の屋根が青い空と白い雲、そして赤い3つの星が描かれました。この3つの赤い星は、何度か塗り直しされ、色こそ変わったものの、今でも残されています。
 1975年2月、映演連にかわって西部講堂の運営を行う「西部講堂連絡協議会(=西連協)」が発足します。西連協は現在も京都大学のサークルとして、西部講堂の管理・運営を行っています。それ以後、西部講堂は学生による自主管理空間として、大駱駝艦や日本維新派などの劇団の公演や、MOJO WESTなどの音楽イベント、フランク・ザッパ率いるマザーズの公演など、数々の伝説的なイベント・芸術表現の場を実現させてきた所となってます。