text:Kana Yoshioka
photo : Jin Miura , Knt213,hiro66pro
トップバッターを務めたのは、注目の2010年生まれ、heykazma(ヘイカズマ)。現在15歳。この日、別のフロアでDJを務めたYuki Kawamuraは、幼少の頃から知っているそうで「よくDJを聴きにきてくれていたし、いい環境で音楽を聴いてきた」と、ダンスフロア英才教育で育ったheykazmaに太鼓判を押していた。モデルとしても活躍するその姿はルックスグッド。エレクトロニックな曲をセレクトし、お客はまだそこまでフロアにいなくとも空間に広がり、出す音の良さに驚く。
そして、今年「U/M/A/A」と契約を果たした、ノースカロライナ出身の新鋭アーティストKENTENSHI(ケンテンシ)が、彼にとって人生初というDJプレイに挑戦。この記事の後半で彼のインタビューを紹介するけれど、現在21歳の彼は、アップデートされ尽くした世の中の音楽環境の中で、楽曲制作を行う次世代を担う期待のアーティストだ。DJの前半は90年~2000年代を彷彿させるようなドラム&ベースをプレイし、KENTENSHIの名前を広めた「paranoia」……この曲は、「U/M/A/A」から2015年にリリースされた椎名もた「少女A」を無許可でリミックスし、それがYouTubeやTikTokなど、インターネット上で世界的に大ブレイクした、今のご時世ならではのヒット曲なのだけど、ブレイクコアとでも言うか、壊れたかけらが集結して突き進むようなグッと人の心を掴むような展開が素晴らしく、この曲がかかると一気にフロアに熱が入る。そこから5~6曲、最新のオリジナルの楽曲をプレイ。ネット世代が作るエレクトロニック・ミュージックと言えども、さすがに黒い。センスのあるサウンドを聴かせてくれた。
KENTENSHIのプレイが終盤に差し掛かると同時に、「U/M/A/A」を代表する弘石雅和氏が登場。今回のイベントの挨拶と、そしてレーベル入りをしたKENTENSHIを会場の皆へ紹介してくれた。
そして2組のバンドによるライヴが開始。 中国・上海&南京出身、現在は東京を拠点に活動をする、Lola One(ローラ・ワン)とCase One(ケース・ワン)から成るエレクトロニック・ポップデュオ、Wang One(ワン・ワン)。電子音とギターが交差するヘヴィでポップ感のあるアグレッシヴなサウンドに、Lola Oneのエモーショナルなヴォーカルがとてもいい。 「Oh Young Boy」、「Dragon Blood」、そして80年代のテクノミュージックをオマージュした人気曲「(I don’t give a)Crap」などをプレイしてくれた。
かつてYMOと深い付き合いがあった「U/M/A/A」は、70年~80年代の日本の電子音楽にも精通していて、そのYMOとも時代をともにしたシンガーソングライターの高野寛が登場。「U/M/A/A」からは、2024年にデビュー35周年記念となるアルバム『Modern Vintage Future』をリリースしている。今回のライヴでは、音楽家のゴンドウトモヒコが共演。高野寛のギターを演奏しながらのポップで実験的なサウンドと、皆を虜にする歌声は会場をロックし、そこにゴンドウトモヒコが演奏するユーフォニアムやフリューゲルホルンが乗ってくると、更に世界観が広がり別次元へと。ベテラン2人のステージに、思わず胸キュンしてしまった人たちも多いのではないだろうか。

この時間、もうひとつのフロアではYUKI KAWAMURAがDJプレイ。その他、Hideo Kobayashi、Jay Zimmermannなどがこの日、DJプレイを行った。またVJは「U/M/A/A」と長い付き合いのある映像チーム100LDKが担当。線路沿いに位置するZERO-SITE高輪ゲートウェイは縦に長い空間で、天井に映し出されたミニマルな映像は圧巻であった。

そしてメインフロアはDJタイムへ。ポップとアンダーグラウンドを網羅するtofubeats(トーフビーツ)の人気は凄まじく、一気にフロアをダンスの渦へ。「I CAN FEEL IT」、「RUN REMIX feat. KREVA & VaVa)」、VaVa「Virtual Luv feat. tofubeats」、「on&on feat. Neibiss」など自身がプロデュースした楽曲を軸に幅広く選曲。終盤はシークレットゲストでCreativeDrugStoreよりtofubeatsと交流の深いMC VaVa(ヴァヴァ)が登場。キレ味のあるライヴを観せてくれた。
タイムテーブルがTREKKIE TRAX CREW(トレッキー トラックス クルー)feat.なかむらみなみへと続く間に、再びheykazmaが登場。早い時間帯でのプレイよりも更にアップデートされたアグレッシヴなテクノサウンドで、ボルテージ高めなパフォーマンスを披露。世界へと羽ばたく新鋭が日本から誕生したと感じる時間だった。
andrew(アンドリュー)、Carpainter(カーペンター)、futatsuki(フタツキ)、Seimei(セイメイ)の4DJ’sによるTREKKIE TRAX CREWが登場し、曲をプレイしだしたとたんに会場がレイヴと化す。彼らの軸にあるのはバウンスするベースサウンド。そしてバイブスを上げてくる。各々が制作した楽曲を含め、個性溢れる選曲でB2Bを行い、ひとつの世界観を生み出していく様は本当に素晴らしく、そこに彼らと深い交流のあるソウルシスターなかみらみなみがMCで登場したものだから、止まることを知らない炸裂ぶりを終始キープしていた。彼らはちょうど7月11日(金)に、約6年ぶりとなるコラボレーションシングル「Fever」をリリース。今年後半の活動が楽しみでならない。

イベントのラストを飾ったのは、ちょうどデトロイトから来日を果たしていたテクノ界の重鎮、デリック・メイ。時間も深くなり始めた頃に、グルーヴ感のある黒いエレクトロ・ミュージックが、デリック・メイの黄金の手捌きにより次々とミックスされていくと、会場は一気にワールドクラスのダンスフロアへ。最後まで人々をダンスの渦に巻き込んだ。

「U/M/A/A」が期待する、新鋭アーティストKENSTENSHI
今回イベントに出演したアーティストの中で、今年「U/M/A/A」と契約を果たしたKENSTENSHIを紹介しよう。
長いドレッドヘアが似合うノースカロライナからやってきた21歳の彼は、かつて「U/M/A/A」から2015年にリリースされた椎名もた「少女A」に目をつけ、数年前に勝手にリミックス。レーベルが配信していた「少女A」のYouTubeなどの動画のビューワー数が突然増えたために、レーベル側がその軌跡を追っていったところ、KENTENSHIに辿りついたそうだ。権利関係の問題から、「U/M/A/A」がKENTENSHIへ連絡をすると、そのときはまだ10代後半のベッドルームアーティストであった彼は音楽ビジネスに対しての知識がほぼなかったことから、素直に受け入れレーベルへ謝罪。そこから互いのやりとりが始まり、送られてきたオリジナルの音源から彼の才能を改めて見い出し、「U/M/A/A」がレーベルアーティストとして契約を結んだというルーキー。多くの機材を持たず、配信やサブスクなどインターネットを通じたデジタルコンテンツから多くの音楽を知り、そこから自身の音楽を模索しながらラップトップで制作しつづける、新世代の音楽アーティストだ。
ーープロフィールを教えて下さい。
ノースカロライナ州出身で、ダーラムという街の低所得者が住むエリアで育ったんだ。父が音楽を作っていたから、自宅のリビングルームに音楽を制作する機材があって、僕は子供の頃から父が家にいないときにこっそり機材を触っていたんだ。ある日、父がいない間にビートマシーンを触って遊んでいたら、父が突然帰ってきて見つかってしまったんだ。でも父が「続けてみろ」と言って、僕にドラムマシーンの使い方を教えてくれたんだ。5歳の頃のことだね。母は家では新旧問わずR&Bを聴いていて、祖母はゴスベルミュージックを聴いていた。ゴスペルはジャジーでいいよね。叔父はエレクトロミュージックを僕に教えてくれたよ。父はブーンバップ寄りのラップの入ったヒップホップを作っていたんだけど、父のビートは酷かった(笑)。そのうち「俺のビートの方がいい!」とか言い合いになったりして。僕はヒップホップのビートを、母のラップトップを借りて音楽ソフト「Fruity Loops」のフリーダウンロードして曲を制作していた。だけどトライアルで使っていたから曲を作っても保存できなかったんだ。だから保存しないでラップトップに作った曲を残して、学校から戻ってきたらまた制作を続けて、出来上がったら曲をiPhone(携帯)に録音してってことを繰り返していたんだ。そのときに作ったものはまだiphoneに残っているよ。
―ーそこからどんな変化がありましたか?
2021年にEPを作ったんだけど、その頃はローファイ(Lo-Fi)・ミュージックだった。YouTubeでローファイビートでめちゃめちゃ儲けている人を見つけて、彼が音楽でどのように稼ぐのかを教えていたんだ。その頃はローファイ・ミュージックは好きじゃなかったんだけど、僕も若かったし、金という言葉に惹きつけられて、それを機に作ってみることにしたんだ。それでそれまで作ってこなかったエレクトロニック・ミュージック(*ここで言うエレクトロニック・ミュージックとは、ゲーム音楽のこと)を作りだしたら、楽しくなってしまって。だけど周りの友達には、ローファイを作っていることを隠していたんだ。というのも自分の周りはヒップホップを聴いている人ばかりだったからね。
―ービデオゲームはよくやっているんですか?
やってるよ。今はファイナルファンタジー16。これがまた、音楽が本当に素晴らしいんだよ。それとミュージック・ゲームも好きんなんだ。リズムゲーム。タイコ(太鼓の達人)が好きなんだ。
―ーそして「少女A(Young Girl A)」を見つけたんですね。
そうなんだ。ボーカロイド・ミュージックに関しては、日本のアニメをよく観ていたから6~7歳の頃から聴いてはいたんだけど、大人になってからやってみたいと思っていたけど、アイデアがなかったんだ。日本のアニメは、 XBOXやYouTubeにフリーでアップロードされたパイレーツ・アニメを観ていた。僕にとってはYouTubeで探すのがてっとり早かったし、そこでイントロやアウトロで使われている曲を知ったり、日本の音楽を知ることが多かったんだ。
―ー椎名もた「少女A」を使って「paranoia」を作りましたが、どうやって「少女A」を見つけたんですか?
YouTubeだね。YouTubeは新しいものを探すには優秀なプラットフォームでもあるし、レコメンドもしてくれるから、その流で知ったんだ。それまでは他のボーカロイドの曲をリミックスしたりしていたんだけど、僕的にはあまり出来がよくなかった。そんなときに「少女A」をみつけてリミックスしたら注目を浴びてしまったんだ。5~6年前のことだよ。「paranoia」はそんなにダンスする感じでもないんだけど、というのも「少女A」自体の歌詞がそもそも悲しさを含んだ曲だからね。TikTokで僕のリミックスがトレンドになって、人々がこの曲を変な映像とともにくだらない感じで扱っていたこともあって個人的には落ち込むこともあったんだ。だけど結果的には、自分の人生がよくなったったから、ようやく自分の中でコントロールできるようになった。
―ーここ最近は気持ち的にはどうですか?
気分はさほど悪くはないけど、この数年で自分の音楽はものすごく変わって、サウンドのスタイルも変わったから、今の僕にとっては違うものに感じている。この曲は何年も前に制作した、過去の作品というか。だけど大概の人が僕に対して「paranoia」の印象が強いみたいだね。昨晩は「paranoia」の後に新しい曲をたくさんかけたけど、みんなが踊っている姿を見てとても嬉しかった。前進しないとね。
―ー昨年、お父様が他界されたとお聞きしました。それがきっかけでさらに音楽活動をさらに本気でやっていこうと思ったそうですね。
生前、父は僕の曲を聴いてもあまり理解を示さなかったんだ。父はヒップホップのビートを作っていたし、父と僕はいつもお互い自分の音楽に関して強く主張し合っていた。僕が何を言っても「子供だから」と言われてきたし、父が強制してくることに対して、僕は聞く耳をもたなかった。あるとき父が「お前は音楽を作ることを仕事にしたいのか、それとも趣味で作っているのか」と尋ねてきたんだ。真剣にやっているようには見えない、とね。そのときに僕は「音楽を仕事にしたい」と応えたんだ。父はやり方を教えてくれたけど、オールドスクールなスタイルだったし、僕はそのやり方をやっていなかった。だから父は心の中で「チェッ!」と思っていたと思う。だけどそのうち父は僕の曲を聴くようになって、ある日「ようやくわかった」と電話がきたんだ。僕のやっていることに最初は納得していなかったのにね(笑)。だけど、時間を割いて、僕の曲を聴いてくれたことは本当に感謝している。だからこれからも自分のやり方でやって行くよ。
―ー今回のイベントではデリック・メイと共演しましたが、デリックとは話をしましたか?
デリックは僕の”パパちゃん”。クレイジーだけど、とても優しい。スーパータフで、スウィートな人で、まるで父のようにいろいろ僕にアドバイスをしてくれた。デリックは「 “パパちゃん”っ!って言うな!」って言うんだ。一緒に帰ったときに、車から降りたデリックに「オヤスミ! ”パパちゃん!”」と伝えたら、窓の先でムスッとした顔をしていたよ(笑)。

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